M−1グランプリ2004

今日はM−1グランプリ2004です。
芸人さんが一年間、M−1を目指して頑張るという雰囲気を僕は感じているのですが、M−1が始まる前、2000年以前はどんな感じだったのかな?とふと思ってしまいました。テレビに出れるようになりたいと思っても、何をどう頑張れがいいのかとかが漠然としなかったのではなかろうか?と勝手に想像をしています。そうゆう意味ではM−1は芸人さんのモチベーションを上げる一つの要素として、無くてはならない存在になってしまったなあと思います。
千鳥さんを初めて見たのはテレビ大阪バッファロー吾郎さんが司会の深夜の寄席のような番組での漫才で初めて拝見しました。笑い飯さんもその番組で初めて観ました。あれは笑い飯さんがM−1に出る前の年だったと思うので2001年かと記憶してます。アンタッチャブルさんを初めて観たのは伊集院光さんが司会をされていたゲーム番組「ゲームWAVE」のレポーターをされてました。ゲーム番組なのに、街ゆく人々に声をかけてホクロの数を数えていたと思います。南海キャンディーズさんを初めて観たのはオールザッツ漫才。2002か2003かは定かではありません。南海キャンディーズとしてはそれが初めてでしたが、しずちゃんさんがその前に女二人で組まれていた「西中サーキット」はたしかABCの新人お笑いグランプリで観たことがありました。学校のネタをやってたと思います。ポイズンガールバンドさんはルミネ。東京に出てきて初めて観たルミネの舞台の「80バトル」という若手がネタ対決をするコーナーで拝見しました。麒麟さんを初めて見たのはM−1グランプリ2001直前の「ナンバ壱番館」という大阪ローカルの芸人版知ってるつもり?のような番組で。司会は今田東野さん、池乃めだかさん。田村さんの物凄い悲惨な幼少時代を垣間見たりしました。トータルテンボスさんはオールザッツ漫才2003で。関東勢では異例の若手トーナメント準決勝ということで強く印象に残っていました。タカアンドトシさんはオンエアバトルで。
と、なぜか自分が決勝進出コンビを初めて観た時のことを長々と書き連ねてしまいましたが、とにかく僕の言いたいことは、M−1って面白いね。