他人の感情をコントロールできる男 第3話

悲しい。この感情に浸ることができたのは一体どれくらいぶりのことだろう。あれはたしか私が小学校2年生の時、溺愛していたペットのイグアナが近所の土佐犬と決闘をして死亡してしまった時だ。あの時私は一人の人間が1回の人生で使う悲しみの要領を使い切ってしまったのだ。
はっきり言って私は今この目の前に立っている男に感謝をしている。なぜなら私は悲しみという感情に飢えていたからだ。嬉しい、楽しいという感情の要領はまだ残っているのだが、これらの感情は悲しいという感情があってこそ初めて生きてくるのだと痛感している。そしてこの考えを普通の人(悲しみの感情を持ち合わせている人)に分かってもらうのは困難なことだろう。悲しいという感情が、物凄く心地いい。!?突如私の心の中に怒りの感情が込み上げてきた。気付くと私は自分の拳を目の前の男に振りかざしていた。
                            つづく